2014年12月2日火曜日

正岡子規記念館

ふなや旅館7階からの風景。
散々呑んだはずですが、いいお酒を飲んだとみえて二日酔いもなく快適な目覚めでした。
できのいい同期生は早起きして散歩にも行ったようですけど院長には無理。
それでも珍しく朝風呂も使いました。やはり熱くないのはいいです。
朝食はちゃんとした旅館らしくビュッフェ形式ではなく、席に運んでくれるかたち。
正しい西日本の朝食なんで生卵とか納豆とか塩鮭はなし。
なるほど。
いつもメーカー名をチェックする海苔には、旅館の名前が入っていました。さすが。

隣に見えるのは正岡子規記念館です。
正岡子規は日清戦争に記者として従軍する際にクリニックの隣 比治山でも一句よんでいます。
うぐいすの 口のさきなり 三万戸

ところで日清戦争当時、日本の政府や議会、明治天皇も広島にありました。
明治維新以来、首都機能が東京を離れた唯一の事例です。
それだけ日本全体が必死だったのですね。

写真右端は松山城のあるその名も城山のはずです。