2014年12月26日金曜日

アンパンマン号

高知といったらアンパンマン!
というわけで、高知からの帰りの特急はアンパンマン号でした。
乗っているとちょっと恥ずかしいです。
写りこんでいるださいのは院長本人。

2014年12月22日月曜日

今年の診療もあと5日

だいたい12月28日まで診療する当クリニックですが、ことしは28日が日曜なので27日までの診療です。
長く受診していただいている慢性疾患の患者さんとは ”今年一年もあっという間でしたね”
病状が進まないように、知恵を絞って治療に当たっています。

2014年12月20日土曜日

高知でもオタフクソース

 前夜、米米くらぶにフラレて案外に早く高知ホテルに戻った院長、
最近は睡眠時間が短いので朝早く目が覚めてしまいました。歳のせいかも。
高知といえば日曜市、パンフレットを見ると冬季でも朝6時半からやっているようです。
朝7時過ぎに行ってみると、寒くても開店されてますね!
まだ組み立て中の店舗も多いのですが観光客もボツボツ見えて、
夜型の院長としてはちょっと信じられない早さです。
野菜や果物、ジャムなんかが多かったのですが、広島に持って帰るには重い。
こんなところにも オタフクソースののぼりがありました。
広島風に作ってくれるんでしょうか?
さすがに早朝から焼いてないでしょ、とパス。
なんだか出来合いみたいなモノが展示してありましたが、不明です。

2014年12月18日木曜日

土佐の純米酒が飲める店

広島で教えてもらっていた高知の居酒屋 土佐の純米酒が飲める店 
その名も 米米くらぶ
(写真がヘタクソで看板が読めないのが残念)
地図持参で無事 行き着けたのですが、
電気がついてるのに扉は閉まっていて誰もいませんでした。
一回りしたりして3回ほど行ってのですが結局入れず、
名物女将さん(80歳近いとか)にはお会いできませんでした。

2014年12月14日日曜日

初めてのうつぼ

高知といえばカツオのたたき
とりわけ最近なら塩たたきが名物のようです。
現地で落ち合ったK先生に予約していただいたお店”座屋”
期待を裏切らないいい店でした。
一番右はうつぼの唐揚げ、小さいけど鳥の唐揚げ風味で美味しかったです。
左から二番目は長太郎貝
ちょうたろうって広島では言わないのでどんな貝なのかは判りませんでした。
カウンターの客の層もよくて、板前さんも当日最初の客である私たちを
大事にしてくれて好感度大でした。


2014年12月11日木曜日

はりまや橋

駅前のその名も 高知ホテル に泊まりましたが、部屋も広いしベッドも快適でいうことなし。
学会会場は かるぽーと なる施設、駅前から市電に乗りましたが徒歩圏内でした。
カルチャーと港をかけたんでしょうか、どえらい立派なビルです。
 岡山にも福岡にも高知にも立派なコンベンション会場がありますが、
広島にはありません。国際平和会議場はいささか手狭です。
宇品に計画があるそうですが、まだ何も決まってないみたいだし
交通の便が悪いところに作ってどうするつもりなんでしょう。
サッカー場といい、コンベンション施設といい、広島市のリーダーシップのなさは
ちょっとひどいんじゃないでしょうか。先代も今の市長も意欲が見えません。
さて高知といえばはりまや橋、
日本三大がっかり名所などといわれていますが、ここまでがっかりだと居直れるのか
記念写真をとる観光客らしい人々がつぎつぎ記念写真を撮っていました。

肝心の学会では目的の評議員会に出席し、最後のセッションまで会場に留まりました。
聴衆はわずかでしたが、大阪の先生によるエネルギッシュな足の手術の講演に
整形外科医として感動しました。

2014年12月9日火曜日

ようやく高知に着いたのでした

いったいいつ出発するか、JRからは遅れますのアナウンスのみで不安が募るなか
伯備線特急八雲が到着し、高知行き特急南風も18分遅れで出発しました。
勉強する本も持ってきたのですが、在来線はゴトゴトするしとても学術誌なんか読めません。
最近は新幹線ばかりですっかり忘れていました。
調達したチュウハイとつまみを食べてすこしウトウトしているうちにあっというまに
瀬戸内海を横断して香川県内に到着。
しかし予想したよりも香川県内が長い。高松から宇多津、丸亀、善通寺(順不同)、
行けども行けどもも高知県という雰囲気になりません。

 途中の有名な日本の秘境、大歩危は午後11時半ごろに通過。
真っ暗ですが一瞬見えた車外は真っ白でした。
今日になってもあのあたりでは孤立している方々がおられるとのこと、四国で雪で孤立なんて想像できませんが、スタッドレスタイヤなど準備されているのでしょうか。救援に赴いた役場や自衛隊の皆様、ほんとうにお疲れ様です。
物見遊山のマスコミはヘリコプター飛ばすのなら救援物資持っていけ。
院長も電車が立ち往生するのに備えて残っているビールや食料を再確認。
高松から向こうになると何も売ってないよと聞いていたのでした。
スマホ(ドコモ)もしばらく圏外でした。
ともかく電車は止まることもなく無事に(土佐山田からは近い)、
20分遅れの深夜12時30分ごろに高知駅着。
たくさんはいない乗客も三々五々解散したのでした。
眠り込んでいた若いお客さんは車掌さんに起こされていました。
そういえば乗務員のかたはみな院長よりだいぶ年上に見え
失礼ながら深夜業務たいへんだなと思いました。
高知駅では坂本竜馬とおりょう(たぶん)夫妻が迎えてくれましたが
もちろん売店も何も閉まっています。

2014年12月8日月曜日

高知に行ってきました

5日(土)は休診にして、高知市で開かれた
日本リウマチ学会中国四国支部学術集会に出席しました。
高知はいささか遠いですが、支部評議員にしてもらっている院長は
3年に一度の出席と評議員会費の納付は義務なんです。
今年の中四は金曜・土曜に開催されたのですが、
年末に二日も休むわけにはいかず、土曜日だけ出席しました。
 金曜午後8時半過ぎの新幹線で出発。
かなり寒かったので、温かいうどんが出る立ち食いうどんやは行列でした。
院長はアナゴの駅弁とビールで長旅に備えました。
いつもの夕食の時間よりずいぶん早い時間です。
 岡山で乗り換え、特急南風で一路高知に出発。
ところがあいにくの雪のため、山陰からやってくる伯備線が遅れ、
待ち合わせで南風も出発が20分弱遅れたのでした。
予定通りでも深夜12時過ぎて着く予定だというのに。
ひょっとして車中泊?お菓子とビールと水を抱えて乗車。

2014年12月4日木曜日

暖炉付き

ステンドグラスに暖炉もあるふなや旅館の特別室で
食後に演奏を楽しむ同期の仲間
当日直前にあわせただけなのにとても上手い
こういう時って芸のある人はいいよね

2014年12月2日火曜日

正岡子規記念館

ふなや旅館7階からの風景。
散々呑んだはずですが、いいお酒を飲んだとみえて二日酔いもなく快適な目覚めでした。
できのいい同期生は早起きして散歩にも行ったようですけど院長には無理。
それでも珍しく朝風呂も使いました。やはり熱くないのはいいです。
朝食はちゃんとした旅館らしくビュッフェ形式ではなく、席に運んでくれるかたち。
正しい西日本の朝食なんで生卵とか納豆とか塩鮭はなし。
なるほど。
いつもメーカー名をチェックする海苔には、旅館の名前が入っていました。さすが。

隣に見えるのは正岡子規記念館です。
正岡子規は日清戦争に記者として従軍する際にクリニックの隣 比治山でも一句よんでいます。
うぐいすの 口のさきなり 三万戸

ところで日清戦争当時、日本の政府や議会、明治天皇も広島にありました。
明治維新以来、首都機能が東京を離れた唯一の事例です。
それだけ日本全体が必死だったのですね。

写真右端は松山城のあるその名も城山のはずです。

2014年12月1日月曜日

松山で同期会

広島大整形外科入局同期の会に出席しました。
世話をしてくれる先生のいる松山は道後温泉の”ふなや”旅館。
とても快適でした。旅館のお風呂がちょっとぬるめなのも入りやすい。
男ばかり8人で2部屋に泊まり、遅くまで酒を飲みながら話してまるで修学旅行。
こんなに結束の固い学年もなかなかありません。

はじめての鮒屋泊まりをしぐれけり 夏目漱石