2011年7月13日水曜日

アフリカではまたしてもエボラ出血熱が出現しました

エボラ出血熱は致死率25~90%というとんでもなく恐ろしい感染症です。アフリカで過去数回流行しパニックになりましたが、自然に終息してしまう不思議な病気です。医療関係者も多数感染し死亡しています。日本に飛んできませんように。


<以下は国立感染症研究所のHPからの引用>
 エボラ出血熱はエボラウイルスによる急性熱性疾患であり、 最も重要な特徴は、血液や体液との接触によりヒトからヒトへ感染が拡大し、多数の死者を出す流行を起こすことです自然界の宿主が今もって不明なことからも、今後の発生が危惧される。
 エボラ出血熱は現在まで、コートジボアールを除けばアフリカの中央部でのみ発生している。エボラ出血熱の場合は患者の発 生があるたびに周辺で生態調査が行われているにもかかわらず、自然宿主の特定には至ってはいない。
 スーダン(1976、1979):1976年6月末、スーダン南部のヌザラ、マリディを中心に284名が感染し、151名(53%)が死亡した。
1979年にはヤンピオで5家族34名が発症し、22名が死亡した。

 ザイール(現コンゴ民主共和国)(1976、1977、1995):1976 年のスーダンでの発生から2カ月後、北部のヤンブク教会病院を舞台として大発生が起こった。病院とそこに出入りしていた患者と家族、医療関係者の間で感染拡大が生じたものである。約2カ月の間に318名の患者中280名(88%)が死亡した。
スーダンの例もヤンブクの例も、ヒトからヒトへの伝播は急性期の患者との直接接触によるもので、空気感染(airborne)の可能性はないとされている。ヤンブクでは病院のスタッフ17名中13名が発症し、11名が死亡し、病院は閉鎖された。
それから18年後の1995年、遠く離れたザイール中央部のキクウイットで、町の総合病院を中心に4月初め患者が発生した。244 名の死亡者中100名以上は医療関係者であった。
 2000~2001年ウガンダ:スーダンとの国境に接する北方地域のグルで10月に始まり、南のマシンデイ(27例)や遠く離れたムバララ(5名)でも発生し、計425名の患者と225名の死亡者(53%)を出して過去最大の流行となった。
 2001 ~2002 年ガボンとコンゴ共和国:2001 年12 月にガボンとコンゴ共和国の国境地帯で発生し、2002 年4 月までにガボンで65 例(死亡者数53 名)、コンゴで32 名(死亡者数20 名)の流行があった。致命率は両方で75%になる。