2011年6月19日日曜日

ジュノー博士記念会に参加

ジュノー博士は、昭和20年9月9日に被爆後間もない広島を救援に来てくれた外科医です。
スイス人であるジュノー博士は国際赤十字のメンバーとしてエチオピア、スペインと戦地で救護活動に当たり、第二次大戦中は国際赤十字の唯一の代表としてナチスドイツの首都ベルリンに滞在されていました。
原爆の惨禍を知ってテヘランから中国経由で9月1日に日本入りされ、9月9日には広島に到着され、医療活動に当たった最初の外国人医師で、広島にとって忘れてはいけない大事な恩人の一人です。
特筆すべきは焼け野原の広島に15トンもの医療物資を持ち込まれたことで、占領軍本部に掛け合って大量の物資を出させたすばらしい実行力には感嘆するしかありません。
地球を半周して日本入りする前に中国で日本軍に捕虜になっていた連合軍兵士の救援もされ、占領軍マッカーサー司令官に評価されたらしいのですが、その大量の医薬品で多くの被爆者が助けられました。長く紛争地で救援に当たっていたジュノー博士はとにかく医薬品が必要なことをよくわかっておられたのだと思います。
毎年開かれるジュノー記念祭ですが、今年は没後50年とのことでご子息がジュネーブからおいでになっておられました。駐日スイス大使夫妻、日本赤十字社社長(近衛氏、公家の近衛一族に違いない)、広島市長、主催者である広島県医師会長ほかが出席され、県知事は来ていませんでした。公務や家庭もありましょうから来ないのはいいんですが、よこしたメッセージが長すぎです。来ないのなら遠慮しなさい。

駐日スイス大使、スピーチもよかった


ジュノー博士のご子息と孫のマクシミリアン君